自分流レディ覚書

自分が自分らしく素敵に生きる為に

物持ちが良い?

 これは昨日、父母とショッピングへ出掛けた際のこと。


 くたびれた靴で帰省した私の為に、家族で大型ショッピングモールを見にいくことになった。散々お店を見て回った結果、私の求める「フェミニン、コンサバ、シック」な靴は残念ながら見つけられなかった。

 沢山の時間を靴探しに費やし、お昼過ぎだし少し休憩しようということに。フレッシュジュースのお店でそれぞれ好きなジュースを選び(私は勿論メロン!)、ちょっとした机とベンチのある一角へ移動。美味しいジュースで喉を潤し、時間を確認しようとスマートフォンを取り出した。その瞬間だった。

「そのスマートフォンのカバー、ボロボロじゃない!」

 母親が目を見開いてそう言った。


 私の使っているカバーはちょっとしたブランドのオシャレなデザインで、ブック式の、内側に小さな鏡とカード収納が内装されたお気に入りの物だった。買ったのは2年前程、古くなってきたけれど、まだまだ現役、私にとって最高の物だった。

 そんな私の愛用のカバーを、あり得ないものを見るような目で見られて本気でショックを受けた。


 しかし母にボロボロと言われ、改めて自分のスマートフォンカバーを見つめる。四方は全て薄布はポロポロと剥がれ、黒い本体のはずが経年劣化により燻んだ黒に。しかも、手垢や何からで見るからに不衛生そう!

 一度そう認識すると、もうダメ。素敵な、自分の理想とする女性は、こんなボロボロのものを堂々と持ち歩く訳がないと、ここにきてハッと自覚した。

 「物を大事に長く使う」女性は、良い物を長く使うのであって、ボロボロの修理もできない物を持ち歩くのではない(しかもスマートフォンカバー…毎日持ち歩く物なのに!)


 「ボロボロになっても延々使い続ける」を、いいように頭の中で変換し、「私は物持ちが良い」と錯覚している人は私だけではないはず。

 勿論、使い込むほどにヴィンテージ感が増し深みが出るものもあるけれど、見窄らしい姿の物のことを指すわけではないことは誰にでも明らか。

 身の回りの物を見直し、そんな錯覚が起きていないかを時折確認することも大事なのかもしれない。